2012年3月3日土曜日

古屋敷村映写寄合~映像が伝える山里の暮らし~上山イベントを開催しました

もう一週間近くになってしまいましたが、去る2月26日日曜日、映像イベント「古屋敷村映写寄合~映像が伝える山里の暮らし~」を開催しました。

「映画に残る村」の古屋敷村。
30年前に撮影されたドキュメンタリー映画を見ながら、村の生活が残るおそらく最後の頃の住人の様子や歴史を見直し、今の私たちの「失われた村の再生と伝承」の取り組みを映像で見返し、山村の生活の知恵の伝承を考えました。

映画撮影の地元である上山でのイベントらしく、当日は映画に登場する人々の肉親の方々が来てくれ、「いやぁ~、(亡くなってから20年になる)兄に会えて良かった~。今晩夢に出そうだ~」と興奮気味の様子でした。

また、お父さんが映画に出ている花屋紀子さんは、「茅葺きが維持できれば村に残ったのに。茅葺き職人もいなくなって、両手幅で何十万円ものお金がかかるようになったら山の生活は維持できない。みんな出てしまっては残れない。」とおっしゃっていました。

私たちが最近まとめた映像に関しても、「ニッポン国古屋敷村」との関係がつながっていて、例えばビデオ「味わいの時間」の中で鈴木久雄さんが言っている「有名ななめこを作っていた浩さん」とは、映画で炭を焼く「浩さん」。・・・また、ビデオ「失われた村再生プロジェクト~かやぶき学習会2011」の中で茅を葺いている家は、紀子さんのお父さん、花屋喜一郎さんの家です。

紀子さんにお聞きしたら、ビデオの中で出てくる昭和15年の新聞が入ったお札の俵のことは「知らなかった」ということで驚いていました。・・・喜一郎さんは映画の中で出征時の辛かった話をされているので、きっと、留守を守る家の人たちが喜一郎さんの無事を祈って集めたお札を屋根裏に残しておいたのでしょう。・・・つい、そんな戦前の村の光景が浮かんできます。

映画に出ていた古屋敷村の皆さんはみんなお亡くなりになったそうです。
かつての住人の方々はいなくなり、「失われた村」であるのですが、私たちの今の活動も、かつての村の歴史とつながっているんだ、ということを“ほぼ初めて”認識することができました。

「やまびこ学校」で有名な山元村・元屋敷の佐藤藤三郎さんは、「山村は不便だけれど、教育環境として悪くない。それでも優秀な子供たちは残らなかった。」とおっしゃり、「今後、山村に若い人が来る方法、経済を維持する方法はないものか」という問題提起を頂きました。・・・それはまさにこれからの私たちの大きなテーマです。・・・古屋敷村は平家の落人がつくったという村。東京のイベントでは、ぜひ、東京の皆さんに「主体的な都落ち」を勧めてみたいな、と思いました。

今回は、大盛況というわけではありませんが、会場に見合った程度の参加者数で、和気藹々としたイベントになりました。
何より、「失われた」と思っていた村の歴史を映像でつなぐことができた、それだけでも今回の映像イベントを開催した意義があるなぁ~と感じます。・・・自画自賛でしょうか?

それと、今回の「映写寄合」でも上映した「古屋敷村の保存を考える会PRビデオ」を、当ブログから見ることができるようにしました。愛さん、ありがとうございます。

古屋敷村の保存を考える会 齋藤

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