出火当時、出火元と旧「鈴虫の庄」は無人で、またたまたま帰郷中の花屋敏夫さんも家を空けていたために人的な被害はありませんでした。
永井先生の奥さんの話によると、前日の夜に花屋忠次さん宅を借りて芋煮会をしていた人たちがいたらしく、報道では、その残り火が出火の原因ではないかとされています。
出火当時は風もなく、雨が降り始めたところで、屋根の修理をしていた橋本さんが煙に気づき、永井先生宅から119番通報をしたということです。
永井先生宅や星野さん宅、「民具資料館」や「まゆの庄」に火は及びませんでしたが、村の真ん中に火災跡が残ることになってしまい、これまでのことや今後のことを考えると、何とも絶句するばかりです・・・。
古屋敷村の保存を考える会 齋藤
古屋敷村の星野です。こちらに移住してはや8年が過ぎようとしています。
返信削除今回発火元となった花屋忠治さん宅(現在は三也さん所有)には私達が移住当時、忠治さんがまだご健在でうちの子供たちを「古屋敷のやしゃ孫」と呼んで下さり、とても良くして下さいました。忠治さんが亡くなられてとても悲しく思ったものです。
大きな火事でしたが消火には沢山の集落から人が力を貸して下さり、なんとかけが人が出ずには済みました。消火後も飲み水を持って来て下さったり、子供たちを気遣ってお菓子や近火見舞いに沢山の人が寄って下さり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これだけこの村を思う方達がいる中で、今回の火災は『普段この村に縁遠い人が当人たちのレジャーの為に村を一日利用し、そして数少ない民家を焼いて帰った』という、住人としてはなんともやりきれない腹ただしい出来事でした。
目の前の焼け跡を毎日目にしながら、このやり場のない怒りをどこへどう持っていっていいのか見当もつかない自分も不甲斐無く思います。
この村にはいろんな方がそれぞれに目的をもって訪れます。でも「村」というのは「暮らし」があってこその「村」なのではないでしょうか。うつり火により全焼となった花屋敏夫さんはきのう、村を降りられました。このような残念な形で貴重な隣人を失った思いは、火事の原因を作った人に伝わる事はあるのでしょうか。